HISTORY 長崎漆器の歴史 長崎漆器の歴史は古い。…と言えど、いまだに分かっていないことが多い。実在したのかも怪しいとされていたが江戸時代前期中期の、当時の長崎の逸話や特産品を解説した「長崎夜話草」に長崎漆器は登場する。 海外に輸出されるために多く作られていた長崎漆器。嘉永の頃には青貝職人100人塗師が300人の、計400人がいたとされている。 だが、安政6年の開港により輸出が激減。年々生産の減少により青貝漆器は惜しくも中断されてしまった。 その後、長崎市立博物館初代館長の林源吉の兄漆器業(丸一家具)を営んでいた虎松が明治30年頃から再興を目指して職人を集めた。そこで作られた漆器は、東京で開催された漆工競技会へ出品するなどされていた。 そんな丸一家具だったが、大正5年に経営を休止。最後の職人、白山弥吉が大正3年(1914)に亡くなり長崎漆器は途絶えた。 FEATURES 長崎漆器の特徴 長崎漆器は、長崎で作られていた漆器のこと。その特徴の1つとして、長崎螺鈿という技法がある。 長崎螺鈿の大まかな特徴は箔を用いて鮮やかにした伏せ彩色で表現していること。青貝細工を用いていること。 伏せ彩色とは薄貝に直接着色した後、木地に貝を貼り付ける技法のこと。 青貝細工とは0.1mmの厚みまで砥石で薄く研ぎ出したものを図案通りに切り出して漆器の表面に装飾する技法のこと。